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伊勢物語に記されたこの和歌は、この世に“玉すだれ”という言葉が出て来た最初ではないでしょうか。さらに、返歌があります。




ここで云う“玉簾”は簾の敬称なのか、いずれにしろ“玉すだれ”という言葉は、古くから日本人に親しまれた言葉であることは確かなのです。

ア、さて ア、さて・・・で始まるお馴染みの口上は、よく「南京玉すだれ」と呼ばれ、お聞き覚えの皆さまも多いことでしょう。
しかしながら、南京玉すだれというと、中国から伝わってきたもの・・・という印象がありますが、それは違うというのが自説です。

実際、中国の方はどなたもご存知ありません。私は、中国の新聞記者の方や台湾各地の皆さんの前で演じてきましたが、「初めて観た!」「今までその存在すら知らなかった」というばかりでした。「珍しい!」「面白い!」と言われ、とても喜んでいただきました。もちろん、地元の子供たちにも大人気でした。

やはり、玉すだれは古来から伝わる日本独特の伝統なのでしょうか。もしそうだとしたら、何故「南京玉すだれ」というのでしょうか?

理由は諸説あります。
ひとつには、「南京豆」「南京袋」「南京錠」など、その当時の珍しい流行モノなどに「南京・・ナントカ」と名前を付けていた、そのひとつという説。

もうひとつの説は、
幕末から明治にかけて玉すだれが「物売り」から「大道芸・寄席芸」として流行ったときにその口上として、「これよりご覧にいれまするは、 唐人阿蘭陀南京無双の玉すだれでござい・・・(オランダや南京など世界にふたつとないのがこの玉すだれですよ)」と言って演じていました。その口上の途中が切れて詰まってしまって「南京玉すだれ」になったという説。

…いずれにしても中国とは関係ないのです。では、玉すだれはいつごろ、どこから来たのでしょうか?

古くは室町時代とも奈良時代とも謂われております。あるいはまた、薬売りで有名な越中富山の山村で平家落人の里と云われる、五箇山平村に伝わる『編竹踊り』が その源流だという説もあります。

それまで門外不出だった編竹踊りの唯一の伝承者である大瀬雅和さんをわざわざ東京にお呼びして、大江戸玉すだれとの競演を試みたこともありました。(大江戸玉すだれ第1回公演)

しかし、本当の玉すだれのルーツはどこなのか、その答えは未だ定かではありません。

文献によると、 江戸時代には、江戸の「もの売り」としての記録があります。草双紙「宇治拾遺煎茶友」(天保五年)に「玉すだれ売り」という名称、着流し姿に尻っぱしょりという出で立ちで
街中を売って歩いていた物売りの画が載っています。

まさしく、玉すだれは『江戸庶民の文化』だったのです。

それ以前の歴史がどうあれ、あるいはそれ以後辿った道がどうであれ、 「玉すだれ」は江戸時代にその売り声を江戸市中の町々や長屋中に響かせたのです。

江戸の物売りとして流行った玉すだれは、たぶん、長屋の子ども達の格好の遊び道具だったに違いありません。

その頃の「玉すだれ売り」は まさに子供達のヒーローだったことでしょう。私はその「玉すだれ」に着目しています。その玉すだれが、平成の世に、大江戸玉すだれ として いま、よみがえりました。

               (文責・佃川燕也)